ドゥマゲッティを後に、セブのダイビングポイントではバリサカグ、アポと並ぶメッカ、ぺスカドールへ移動する。現地ではセブからドゥマゲッティに向かう途中ぺスカドールに立ち寄るという明石夫妻と合流する。
9月5日 曇り時々晴れ
今日は朝6時に出発なので朝食をホテルで食べることができない、のでホテル側でランチボックスならぬブレックファーストボックスを用意してくれている。パンと目玉焼き、ハム、それにオレンジジュースとマンゴー。簡単だが揃っている。が、私は朝からお腹が痛い・・嫌な予感。
昨晩の生牡蠣が悪かったのか?正露丸を飲む。
神様、お願いですからダイビング途中やトイレのないところで悲惨な目に合わさないで下さい・・
ホテルからバンカーボートが待つビーチまでネネも見送ってくれた。色々とお世話になりました。特にトイレに連れて行ってくれたこと、ミドリウミガメを見せてくれたこと、忘れません。ネネ、どうも有難う。
(シャイなネネは写真を撮るときも隠れ気味)
ぺスカドール島の拠点となるモアルボワルまで車で約3時間。移動中はひたすら寝る・・お腹が痛くなりませんように・・・
気がついたら車が止まっていて、もうモアルボアルに着いていた。明石さん夫婦とご挨拶を済ませた後、用意をしてバンカーボートへ向かう・・・と、ところが、ボートに乗るのに一苦労。ビーチからゴロタ(石がごろごろある)に苦心。ボートまで水着で泳いだ方がよかった、というくらいびしょ濡れになってしまった。おまけにビーチサンダルの鼻緒ははずれるし、ペディキュアははがれるし・・・
何とかボートにたどり着き、ぺスカドール島へ一路向かう。お腹具合に不安が残る私・・・
ぺスカドール島は無人島。この島の周りを左右から1周りずつするという。
1本目 モアルボワル ぺスカドール島(ケーブポイント) (通算24ダイブ)
ぺスカドールはいきなり落ち込むドロップオフやケーブがある。パープルビューティーはやはり綺麗だ。他にもシモフリタナバタウオやオカメクマノミ、クダゴんべなどなど。写真を撮りつつ体調に気遣いつつ、で上を見れば新さんと夫、下には明石さんご夫婦がいる。余り深く潜らないよう、ダイビングコンピューターを見ながら潜ってはいるものの30m付近にいたようだ・・新さんが上の上がって来いと言っているさなか、夫が私のボンベをつかんで引き上げていた。ちょつと深くまで潜りすぎたようだ。ダイコンは深度33.2mだった。
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(ぺスカドール名物パープルビューティー)
ボートにあがったらクタクタだ。思わず寝転がってしまう。次の1本どうしようかなぁ・・と言ってると、新さんが”そういう人は皆1時間後に必ず潜ります”という。お腹は小康状態。ダイビングが終わって岸にたどり着くまでは何とか・・・
そうこうする間に1時間の水面休息が終了。次は深度に気をつけて潜ろう。
2本目はモアルボワル ぺスカドール島(イースト) (通算25ダイブ)
カトチャンペ、ギンガメアジ、オトヒメエビ、それから・・名前がわからない小さな魚たくさん。クマノミもいるぞ。
安全停止に気をつけて、比較的後半は浅いところ(5m前後)にいたら、結構色々な魚がいる。カラフルだなぁ。パープルビューティー以外にも珊瑚も綺麗だし。
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(ぺスカドールでは浅瀬にも魚が一杯、もちろんクマノミも)
2本目が終わって、今日は追加ダイブはしないことにした。ダイビングは体調が万全であってはじめて楽しめるもの。今日は休みます。すると、明石さんご夫婦も2本で上がられるとのこと。多数決?で皆モアルボワルへ戻ってからログ付けと昼食をとることに。新さんが、”ここのマンゴーシェークはピカ一”と言う。お腹は小康状態だけど食欲全くないからマンゴーシェークを飲むことだけが私を支えている。
岸についてからまたゴロタ。今度も溺れかけながらようやくビーチにたどり着く。シャワーは冷水!風邪ひいちゃうよ、といいながら、身支度を済ませる。慣れている明石さんご夫婦はすでにスタンバイOK。
お腹が痛いためゆっくりしか歩けない私・・・ゆっくり歩くと普段みない光景などを観察できる。犬が道のど真ん中で(真昼間に?!)交尾していた。ここは自然のままなんだ・・・
さぁ、お待たせしました。でもほとんど食欲がない・・・私のランチは新さんがたいらげてくれました。夫はいつもどおりサンミゲルを飲んだ後、マンゴーシェークをオーダー。君のお腹の中はどうなってるんだ??と思いつつ、物が食べられて飲める身がうらやましい。
(ハッピーでお元気な明石さんご夫婦 / ややくたびれモードの私達・・すでにバテテた)
もうこうなると一刻も早くセブのホテルまでたどり着きたい・・・早々に引き上げ、車は一路セブ市内へ。できるだけ寝るようにするが、すでにランチの段階で悪寒がしている・・
目が覚めたらトイレ休憩だった。”行きますか?”という新さんの声におもむろに起き出してトイレへ向かう。と、トイレットペーパーがない!!お店の人にお願いして新しいトイレットペーパーを出してもらう。あぁ、正露丸の効き目なくおなかを下している・・これは本当に早くホテルにチェックインしないと・・・
とにかく車の中では寝ていた。外はそろそろ夕方みたいだ。学校から子供達が帰宅し、道路も混み合ってきた。でももう少しで着きそう・・神様、お願いしますね・・
やっとホテルに到着。チェックインし、すぐ部屋へ。というか部屋のトイレへ。ドアが閉まらないのでゴミ箱で押さえるが完全には閉まらない・・”絶対入らないから大丈夫、気にしないで”という夫の声。1分間に数回トイレとお友達状態が続く。
もう明日は潜れない。だから”今日の洗濯は自分でやってね”というと、夫は洗濯をはじめた。
その合間にもトイレに行く。余りにも行く回数が多いのでトイレットペーパーがなくなる。ルームサービスに替えを持ってきてもらう。
全く食欲なし。お腹にある食べ物が全て出ないとこれは直らない・・
上京した年、余りのハードワークと食生活の乱れから食中毒で入院したときのことを思い出す。あのときは鎮痛剤が全く効かず、モルヒネのようなものを打ってもらった・・・あれに比べればまだましだ・・・
悪寒がするので持ってきたカイロ(これも夫のために持ってきていた)を背中に2箇所、夫にたのんで貼ってもらう。Tシャツを着て、パジャマを着て・・やっと温かくなってきた。しばらく寝ようにも体の向きを変えるとトイレ、水を飲んでもトイレ、じっと寝ていてもトイレ・・・というわけでセブのトイレ話は切り(歌舞伎でいうところのクライマックス)に・・・
ここからは題して”トイレと私”。
しばらくウトウトしながら・・ふとトイレに行く、その繰り返し。トイレに行く間隔は伸びたものの体から水分がどんどん出て行くので脱水症状を起こさないよう水分も取らなければならない。ほぼお腹の中にあった食物は出尽くした感がある。ゲータレ-ドが私の唯一の栄養補給源だが、飲むとまた・・・トイレへ・・・
このままでは日曜早朝の飛行機に乗れるかどうかも危うい。覚悟を決めてクレジットカード会社で自動加入している海外保険で病院を紹介してもらうことにした。
海外保険を利用するのは2度目だ。前回は3年ほど前にベトナムのダナンにある高級リゾートホテルに宿泊した際、余りにも高級すぎて大理石張りのシャワールームで転倒。頭を強打した時に保険を利用。そのホテル内のドクターにかかった費用を保険で賄った。
とりあえず、ベッドサイドの電話でオペレーターを呼び、トールフリーの番号だからつないでほしいと頼む。ところが回線の悪いフィリピンだからか、はたまたビジネスホテル程度のホテルだからか、フロントに行かないと其の番号にはつなげない、という。致し方なし。そのまま病院へ行く準備をして・・するとすでにコンタクトをはずした夫も急いでついてくる。
フロントでも怪訝そうだ。だがフィリピン国内の電話、ということで何とか試してくれることになった。電話の向こうは・・日本語ですぐに代わってくれた。
「どうしましたか?」「かくかくしかじか、というわけで最寄の病院を紹介してほしいんですけどぅ・・」担当の女性はテキパキと処理し、最寄の病院を探し出した。
だが、時間が時間(23:40ぐらい)だったので無料治療サービスはできないため立替てほしいという。問題ないので念のため、必要書類を確認すると医者のMedical Report(いわゆる診断書)と処方箋またはレシートを持って帰るように、といわれた。そして最大の疑問?だった検疫について聞いてみると”症状が止まっているなら問題はないかと思います”。よかった?!
フロントにお礼を言ってから2ブロック先にあるという病院まで真夜中のCebu市内を夫と二人でひた歩く・・こういう時は夫がついてきてくれるのがとても有り難い。ストリートボーイが手をさし伸ばしてくるが、比較的あっさりしている。多分私のただならぬ剣幕と余りにもすごい洋服のコーディネート(オレンジのT-シャツの上にアポ島で購入したばかりの派手な緑のワンピース、足元はビーチサンダル)に、リッチな観光客ではないと思ったのか。
病院に到着すると入り口には警備の人が数人いた。受け付けに症状を言うとERへ行けという。ERなんてNHKのドラマしか見てないぞ。あぁ、もう真夜中だから救急でしか治療はしていないんだ・・
夫は外で待っているという。貴重品を入れたド派手なポーチ(エスティローダーという化粧品メーカーでもらったポーチで裏面はショッキングピンク、表には外国人モデルの顔がど~んと載っているもの)を託す。
治療室には当直の女医さんがいた。チャイニーズか?と思わせるような風貌。色々と症状を話してみるものの何分医学の専門用語なんてわからない。アポで食べた生牡蠣が悪かったのかと思う、ぺスカドールでダイビングは2本した、其の後の昼食は食べられず、マンゴーシェ-クしか飲んでいない、などなど現在の悲惨な状況に陥るまでの経緯を可能な限り説明したものの、不幸にして私は”Diarrea”という単語を知らなかった。また、日付が変わっていることにも気がつかず話していたので、昨日、とか今日、というのが実は一昨日、昨日のことなのに、話がゴチャゴチャになっていた・・まだうら若き女医さんは恥ずかしがって今ひとつ話が通じないようだ・・問診中も度々トイレへ・・
そこへ、宿直の若い陽気そうな男性のお医者さんがやってきた。そして女医さんとバトンタッチ。スラング交じりでこうなの?あぁなの?と聞いてくれる。あぁ、この人は私の症状を適確に把握している・・・そう思った。単語が全て理解できたわけではないが、ボディランゲージと症状、そしていかにもそれらしい音(オン)のスラングを駆使するのでそう確信できるのだ。
問診後、検便をして来てその結果を持って帰って来い、という。非常に適確な診断だ。私が日本で食中毒で入院した際、医者は検便しなかった。フィリピンのように衛生状況に不安のある国で注射など打たれると肝炎などに罹りかねない・・と注射は断ろうと思っていたが、その兆しはない。
外で待機していた夫に事情を説明すると、先に帰って寝ているという。さすがに検査結果が出るまで(1時間)待たせるのは酷なので(夫はダイビングをする予定)、現金を100ペソ(日本円で220円ぐらい)置いて帰ってもらった。親父狩りにあわないように気をつけて帰ってね・・・
あれほどホテルではトイレに頻繁に行ったのにも関わらず、いざ、となるとうまくいかない。まず指定されたトイレにはトイレットペーパーが・・なかった!受け付け嬢にペーパーをもらう。どうも駄目なので併設のドラッグストアでミネラルウォーターを飲む。やっと採取成功。
検査室の女性から1時間後に帰って来いといわれる。まさか病院外に行くわけにもいかず、見回したらレントゲン室の前にベンチがあった。ここで寝て時間を過ごすことにした。
時計も持たずにホテルを飛び出したので1時間といわれても大体の感覚しかない。もういいか、と検査室に戻ると後5分待て、という。そうこうしている間に検査結果が出た。ざっとみると赤血球、白血球、そして・・・パラサイトという文字が2箇所にある。えぇ~っ?と思ったが、要は菌に感染しているかどうかの検査だ。"none seen"という文字を見てほっと一安心。
先ほど問診を受けたERへ戻ると休んでいた例の男性のお医者さんが出てきた。検査結果を見て、薬を処方してくれるという。帰りは7日朝7:55の飛行機なんですけど・・と言うと大丈夫だろうとのこと。Medical Reportを書いてくれと頼み、しばし雑談。その際にわかったことだが、この明るい性格のお医者さんは国外へ行ったことがないそうだ。私の偏見だが、フィリピンで大きな病院の医者になるような人は米国など海外で勉強している留学組だと思い込んでいた。でも日本についてはKyotoとか知っているようだ。”私はKobe出身だ、あの大震災の時にいたんだよ”、というとさすがに海外にも大震災のニュースは流れてたと見え、あぁ、あのKobeか、と言っている。そうこうしている間に必要書類は整った。本当にどうも有難うございました。
治療費はクレジットカードで支払いOKだった。ところが薬は現金のみだという。値段を見ると110ペソ以上する。つまり、100ペソ夫からもらい、その中からミネラルウォーターを購入したため完全に現金が足りない。薬局で何とかならないかといっても埒があかず、ERに相談しろと言われてまたまたERの問診室に逆戻り・・・すると看護士さんが3日分x3錠の処方された薬のうち2錠だけ買って帰り明日の昼もう一度取りにくればよい、といってくれた。薬局には複数の看護士が列を作っていた。きっと私よりも切実な人の薬だ・・と思い、順番を待った。
無事2錠をゲットしたものの、夜道を一人で帰るのには躊躇した。先ほどの看護士さんにホテルまで徒歩で帰るのは安全か?と聞くと、やはりタクシーで帰るように言われる。病院の前に止まっていたタクシーの運転手にホテルの場所を説明してくれ、無事ホテルに帰ることができた。ただ、持ち合わせが余りなかったので25ペソから2ペソずつメーターがあがっていくのをジツと見つめていた。
ホテルまで29ペソ。よかった、足りた。これで寝ている夫を起こして現金を持っていかなくても済む・・・
ホテルのフロントには同じ男性がたっていた。どうもありがとう、というと照れている。フィリピンは照れ屋の男性が多いのか・・・
4階の部屋まで行くと鍵が閉まっていた。ガチャガチャやってたら夫が開けてくれた。あぁ結局起こしちゃったね・・・
薬を飲んで休むときにみたら時計の針は9月6日の3:30過ぎだった。
Posted by noriko at September 5, 2003 11:23 PM




