September 19, 2003

対岸の火事

9月18日午前1時ごろ、眠ろうとしていた私はやけに煙たいことに気づき飛び起きた。

冷房が要らないと窓を開けて寝ていたのだが、余りにも煙たい。そういえば先ほどから消防車のサイレンが・・・!カーテンを開けて窓の外を見ると、明らかに色の違う煙が左方向から流れてきている。

急いでベランダに出た。あっ、火事だ!位置関係はわからないが道をはさんで隣のマンションの向こう側、細長いビルの上層階ベランダから火が噴出している。急いで階下の夫を呼ぶ。

1Fは煙たいんだよなぁ・・と言いつつ階段をのぼってくるので、”そんな悠長な場合じゃないよ”と思いつつ、とにかく事実を見せようと、夫にもベランダに出て屋外を確認させる。すると・・すぐさまカメラを持ってきて写真を撮っていた。

1995年1月に神戸で震災にあった私は危機に接すると交換神経が活発になるようで、すぐさま着替える。これまでや野次馬なんて馬鹿にしていたが、そんな場合ではない。どれだけ危険が近づいているのか、避難の必要はあるのかを見極めないと。そして何より、震災で多くの死者を見てPTSDになった私にとって、人命に別条がなかったかどうか、他人事なのだがこれを確認するという自分に課した使命みたいなものを感じていた。何もできない。でも誰も死なないで・・という思いで現場に向かった。

徒歩1分の場所にはすでにパジャマ姿を含め10数名の人だかりができていた。私に続いて夫も出てきた。距離的にはうちまでの間に大きなマンションがあるため、沈下の様子次第では飛び火の可能性は極めて低い。避難の準備は必要ない、と即座に判断。

現場の6階建てマンションの5階ベランダからは相変わらず火が勢いをもって噴出している。マンションの横にははしご車にのった消防士が2人見えた。そこへ現場に到着し、救助及び消火の一番手と思われる消防士の怒鳴り声が聞こえた。”おい!誰かいるのか?誰か、誰かいるのか?”

私の頭の中は1995年の1月に飛んでいった。目の前の道路に無造作に並べられた畳の上に横たわる複数の遺体。火災の後、何も残っていない焼け野原。フラッシュバックが蘇り、何か涙が出てくる。人がいませんように・・

そうこうしている間に消火活動は進み、あれだけ勢いをもって噴出していた火もかなり収まってきた。ここで夫は先み帰ることに。私はどうしても確認したいことがあったのでまだ残った。

消防活動をはじめて見た気がする。火は消えているように見えるのだが、室内から色々なものをベランダに持って行きやたらめったら水をかけまくっている。火事になると消火活動で家は駄目になると聞いたことがあるが、このように壁などについた火の粉を完全に消すために念入りに水をかけるからだったんだなぁ。

野次馬は近所の人だからだまって立っているだけで情報が入ってくる。6階建ての5階、出火現場に住んでいるのは新宿で働いているらしい。当時不在だったようで4階に住む大家さんがボンッという爆発音と煙で異常に気づき、通報したらしい。でも6階、出火した階の上にもカーテンが閉まっているということは誰か住んでいるのかなぁ。

一通り野次馬が立ち去った後、消防士さんが一人で立っていらっしゃったので聞いてみた。”人災はあったんですか?”すると”それはなかったようですね。壁の火の粉もほぼ沈火したようなのでもう大丈夫ですよ”と答えられた。よかった。これだけ確認したかった。モノはなくなるもの。でも人の命が失われるのは見たくない。全くの他人であっても。

対岸の火事とよく言う。もちろん自分たちに被害が及ばないとホッとするのが人情。出火原因はわからないが、対岸の火事で済まさず、反面教師にしよう。災害を起すと不幸になる人が増えるだけだ。

怪我人などが出なかったという情報で気持ちが落ち着き、消防士さんに”お疲れ様でした”言って家に帰る。現在不眠症対策で薬を服用しているのだが、交換神経ビンビンで全く効果はなくなっていた。でも精神的にクタクタ(でもほっとした)だったのですぐに明日の仕事に向けて寝た。時計は2:30を回っていた。
DSC01522.jpg  P251iS00012.jpg
(ベランダから撮影した火事の様子: 撮影 ぴ~ / 翌朝の火災現場)

Posted by noriko at September 19, 2003 07:42 AM
1535423
Since Oct 1, 2003