今日は話力総合研究所の研修生試験。やたらめったら時間がなかったけれど、とにかく受験日が晴れていてよかった(?)
研修生試験の受験者には懐かしい顔も。1年前一緒に勉強した話力仲間の方が1年越しで受験にきていたのだ。
朝9:30集合で10時から1時間、一般常識と小論文の試験。"有象無象(有相無相)"がどうしても書けない・・・。苦し紛れに"有臓無臓"なんて書いてしまった・・・一般常識疑われるなぁ。
その後は実技試験で①講義(3分)と②即題(2分)。
講義はあがって足が震え、声はウワズル・・・。即題は"オレオレ詐欺"。"毒消し"という話の技術を使うのを忘れてしまい、結構失礼な話になってしまったかもしれない・・・。
お昼休み1時間をはさんで面接。これは1番にあたった。色々な角度から所長、理事の先生方が質問をされるのだが、ここで不覚にも涙腺が・・・。「1回目と2回目の講座受講で変わったと思う点は?」と問われ、本当は「1回目の時は自分の思いを一方的に話していたため、聴き手を置き去りにした話し振りだったと思う。2回目には聴き手のことを考えて話すことを意識するようになった・・・」と答えるはずが、「1回目は・・・」から神戸の震災のことが蘇り、耐え切れなくなってしまったのだ。
私は1995年1月17日に神戸市東灘区で被災した。当時は賃貸住宅で一人で暮らしていた。、周囲の家は倒壊、住んでいたハイツの建物は大丈夫だったものの水道、電気、ガスのライフラインが止まってしまった。一瞬にして前日まで存在していたものがなくなり、陽がのぼってからは道路に畳が敷かれ、その上に遺体が並べられた。親戚が一人行方不明というので、坂の多い六甲あたりの避難所を自転車で必死にまわった。結局、家の下敷きになっている、ということが判明。自衛隊と消防隊のレスキューに助けを求めに奔走した。
夜も更けて深々と冷え込む中、マンションにつぶされた木造の家の残骸をレスキュー隊が手で片付けた。周囲は世紀の救出劇、奇跡の生還かとカメラクルーやTVで見たことのあるレポーターが待機。レスキュー隊のメンバーは全て手作業で、大切に叔母を出してくれた。冷たい道路に毛布を敷き、その上に叔母は下向きに寝た状態のままで横たわっていた。
こうした経験はPTSD(心的外傷後ストレス障害)として残る。質問された先生に申し訳なかったのだが、この私にとって重い、重くて辛くて仕方のなかった経験を思い起こしてしまい、不覚にも涙が止まらない・・・面接なのに・・・。でも、何とか答えた。こんな面接はじめてだ。
泣きながら講義をするインストラクターなんていないよなぁ・・・と落ち込んだが、自分でやれるだけのことはやった。後は運を天に任せるのみ。
Posted by noriko at November 22, 2003 08:56 PM | トラックバック11月23日、試験の翌日大英博物館の至宝展へ行った(返り討ちで観れなかった)後、帰宅すると試験結果が速達で届いていた。合格していた。
この試験は"落とす試験ではない"と聞いていたのだが、実際に"合格"の2文字を見るとほっとする。これから2年間、月4回、夏と冬には合同合宿…と続く。これからが本当に大切なのだ。肩に力を入れすぎず、勉強をコツコツ続けていきたいと考えている。







