ヨミウリウィークリーの吊り広告に目が止まりました。「野沢尚、なぜ死んだ 男45歳、女35歳が心の危機」とあります。
この年代では"先が見えた"だの色々書いてます。確かにその世代は一つの節目でしょう。でも死んじゃいけませんよ。私、自殺否定者です。知人が電車に飛び込み自殺をしてそのお葬式に参列した時、確信しました。綺麗事ではなくてやっぱり、生きる事ができる人は自ら命を絶っちゃいけない。
私は大学では社会学を専攻したのですが、卒論のテーマはタナトロジー。丁度当時、脳死問題がクローズアップされて尊厳死なんて言葉も一般的になりつつあった時期に「死」につい哲学、社会学、医学の面で色々調べて見ました。なぜ"死"を選んだか?それは幼少期から常に"死"と向き合ってきたから。
小児喘息で肺炎を併発し、何度も酸素ボンベのお世話になった経験があります。おかげで水泳が苦手なんですけどね:-p夏になると発作が出て水泳の授業はほとんど受けてないもんで。
喘息もちの人なら発作の苦しみは想像できるでしょうが、当時は何度と無く幼い頭で"このままだと死ぬ"と思う夜を過ごしました。そのたびに両親が夜間診察をしている小児科に担ぎ込んでくれて今の私がいるわけですが、そうした経験から"死"に対する恐怖感とともに"生"に対する執着心が強くなりました。
でも進学していくうちに、受験などを経て自分が一体何をやりたいのかがわかりませんでした(今もわからないんですけどね:-p)。そこで、いかに自分の人生をよく生きるかを知るためにはその対極にある"死"を学ぼうと思ったわけです。
卒論は相当力を入れて書いたせいか、おかげ様で最高点をいただきました。書き終えて何を得たかっていうのは、「よい死をむかえるにはよく生きること」ということ。大学の学費を負担してくれた両親には悪いですが、こんな単純なことがわかっただけでも私にとっては重要なものを得た感じがしました。
大学を卒業してからは仕事が楽しくて、体が強い方ではないにも関わらず仕事人間で突っ走ってきました。人の縁で転職をして、・・・1995年1月17日に神戸市東灘区で1人暮らしをしていた時に震災に遭いました。
目の前には倒壊した建物、日がのぼると次第に道端に畳が敷かれ、前日の夕方まで元気に走り回っていた男の子とそのお母さんが畳1畳の上に横たわっていました。そんな光景を見すぎて、余りにも多くの遺体を見すぎて、そして自分の親戚を亡くして、・・・しばらくは何も自覚なかったのですが、震災から1年足らずで上京。そして東京で知人のお父様のお葬式に参列した時、ご遺体を見てそれまでは全く体験したことのなかった恐怖を覚えました。それ以降、数年間、お葬式への参列は控えたぐらいです。
時間が経つとともに地震の恐怖も薄れてはいます。あれだけ揺れに過敏だったのが相当鈍感になったと思います。でもあの地震を生き抜いた者の1人として、私は決して自ら命を絶とうという気にはなれません。きっとヘタバッテも生に対する執着は失わないでしょう。
おばあちゃんになってもきっと生きる"欲"を持ち続けるでしょう。だから?!夫には「私よりも長生きして看取ってね」と結婚前に言いました。年下の夫と結婚したんだから絶対私より先に逝っては駄目。こんな話をするたびに夫は苦笑しますが、これが私達夫婦の口約なんです。
夫が45歳になった頃、どんな状況にあるのか想像もつきませんが、健康で楽しく過ごしていたいものです。
Posted by noriko at August 2, 2004 09:08 PM | トラックバック同感。
どんな理由があるにしろ自分勝手が過ぎると思います。
生きていたいのに病気や事故で亡くなる人だって多いのに
もったいないことだし、傲慢だと思います。
寿命が分けられるものなら分けてやってくれ、と思う。





