悪阻にもめげず、隔週水曜に開催される話力総合研究所の研究会に参加。今日は指示と報告、忠告(アドバイス)についての実習を取り上げました。
話し方や聴き方を学ぶ研究所の所員が自主的に勉強会を開催するのが研究会です。普段受講生に教える立場にいる所員が自らも実習などをすることでさらに話力理論の深めや実際の講義に役立てるために行っています。
どの世界でもそうですが何かを教える立場は責任を伴う上、常に自分を試される試練にも耐えなければなりません。とは言っても実際はナァナァになることも多いわけで(苦笑)。
私は会社を辞める直前までは仕事が忙しすぎて研究会を2~3ヶ月お休みしていましたので久しぶりの復帰になりますが、次の点について問題意識を持ちました。
1. 実習者が実習を行うだけの自己満足に終わっている。
2. 必ずしも背景にある理論を踏まえた実習になっていない。(実習の課題に引っ張られてしまう)
3. 実習そのものに比して批評者に与えられる時間が短いため、実習を踏まえて講義を行ううえでの改善点や反省点にまで踏み込めていない。
何故、こうした自主的な勉強会を開いているのか?それは自己啓発・自己研鑽のためでしょう。参加することを楽しむのは良いのですが、皆、受講生の立場ではないので、結局は実習を行い何かに気付くだけでは単なる自己満足に終わってしまいます。
研究会の趣旨を私自身が正確に把握していないだけかもしれません。でも教える立場の人間が何故受講生がやるような実習をするのか?受講生よりもレベルの高い結果を求めるだけではないはずです。課題を与えられた意味を正確につかんだ上で、何をどう講義に反映していくのか、何に留意する必要があるのか・・・こうした実習後の「まとめ」の部分に本来は重きを置くべきなのに、自分たちが実習を楽しむだけで終わっているような気がしてなりませんでした。
会の進行の中には実習の後で批評や感想を数名が述べる機会は与えられ、指導やまとめで課題をおさえていく場面もあります。そこで深めればよいこととする向きもあるでしょう。でも実習そのものにかける時間や熱意との比較で見た場合に、会自体2時間という時間の制約はあるものの、新参者の私が前述の問題意識を持ってしまう、そうした空気があるのです。人によっては全体の会でやったことを踏まえて個々人レベルでさらに深めていくことができる場合もあるでしょうが、そうしたことができる人間は一握り。
夫はその場で自分の意見を話さないと意味がないと言いますし、無論そうすべきだということは重々わかっているのですが、やもすれば何かを批評する際に攻撃的な口調になりがちな面があるため、年配の諸先輩方が参加している会で発言するには少し躊躇してしまいます。
こうしたことは別に普段の身の回りにもたくさん転がっている課題ですけどね。2回ほど研究会に出席して気付いたことは、結局、自分に物事の本質をぐっとつかんで揺るがぬ論拠をもって不特定多数の人間に伝える技術がついていないこと。せっかく批評の場を与えられても効果的に問題点を指摘できず、後で課題に気付いて「しまった」と思うことを繰り返しています。
会の課題は明らかになってきたものの、自分が物事の本質を端的につかむ力に欠け、それを伝える技術が足りない以上、会に積極的に参加したことにならないと痛感しています。
Posted by noriko at May 25, 2005 11:52 PM | トラックバック




