ひょんな事から歌舞伎会主催、鴈治郎丈を囲む会に出席しました。場所は歌舞伎座の地下食堂「花道」。伝統文化放送のカメラが入る中、山川静雄さんの進行のもと、なかなか充実した内容のトークが繰り広げられました。今日の内容は伝統文化放送が11月30日の京都南座での襲名興行とあわせて特別番組として12月1日に放送されるそうです。

ちなみに坂田藤十郎襲名はいつからか・・・というと、11月25日に京都南座にて招き看板が出た瞬間からだそうです。前日24日にNHKのスタジオパークで鴈治郎名で最後の出演をされるとのことですから、25日付け、ということになります。
トーク内容の中で特に興味深く拝聴した部分を備忘録としてまとめておきたいと思います。
“藤十郎”という名跡について:
近松座をはじめた頃から“藤十郎”という名跡を意識しだした。坂田の家を引き継ぐとかそういうことではなく、上方歌舞伎の名跡として近松モノに力を入れ出してから、和事の精神を意識するようになった。ただ、まずは家の名である“3代目鴈治郎”を襲名してからという順番があったので、何時になったら藤十郎になれるのだろうとは思っていた。3代目坂田藤十郎から231年ぶりの襲名にはなるけれど、自分としては初代藤十郎の精神を引き継ぐということから300年ぶりの襲名だと感じている。
「身振りは心の余りにして」(身振りは心、精神から出てくるもの)という藤十郎の言葉にあるように、江戸歌舞伎の代表である荒事のような型はないけれど和事には初代藤十郎以来300年、脈々と続いてきた心を大切にするという精神がある。これを大切にしていきたいと思っている。鴈治郎という名前で全てやってもよいのだが、藤十郎という名跡の重さを大切にしたい。(屋号は初代が山城屋、3代目が柊屋と言われているが詳細は不明。自分が藤十郎になったら山城屋となる)
(河庄の)治兵衛をやるときには初代藤十郎の精神が続いているということを意識している。ただ、自分がやるにあたって、先代藤十郎のやった通りというのではなく精神を引き継ごうと思っている。父(2代目鴈治郎)の相手役として小春をずっとやっていたが、父からは「自分の治兵衛は嫌いなのか?何故、真似をしない?」といわれた。だが小春というのは治兵衛を見てはいけない。だから、「小春のときには治兵衛は見れないんです」と言ったら「あぁそうか」と言われた。父のモノを見ることはできなかったが、自分は上方歌舞伎で仁左衛門丈などほとんどの役者の相手方をつとめてきたから、上方のモノは毛穴から学んで身についている。
また今回の襲名が決まってから、息子たちに対する稽古にも熱が入ってきた。後進を育てる意欲が高まったといえる。
父(2代目鴈治郎)に藤十郎を継ぎたいということは話していた。父に藤十郎を継ぎたい、と言ったら「親父(初代鴈治郎)のまねをしているのか?」と言われた。父が継ぎたかったかどうかは聞いていない。
上方歌舞伎について
同じ上方歌舞伎といっても大阪が作為、京都は自然、というように笑い一つとっても大阪の方が京都よりも0.0何秒早い。大阪は笑いが早くとれて京都は後から笑いが出てくる、というような微妙な差がある。例えていうなら、大阪は役があって後で体が入ってくる。京都は全体に体が出来ていて後から役が入ってくる、という感じ。
千代萩の演出などで江戸と上方では千松の位置が違っていたりなど演出が異なる。藤十郎を継いだら上方の演出をできるだけお客様にお見せしていきたいと思っている。
(*)他にも2代目扇雀時代23歳の頃、学生だった山川静雄さんとの共演話、や義太夫の人たちに学んで日本舞踊だけでは身につかないような身のこなしを学んだ話などなど、1時間があっという間に過ぎてしまうほど盛りだくさんの内容でした。
Posted by noriko at October 29, 2005 02:14 PM | トラックバック




