May 09, 2008

『子どもが減って何が悪いか!』赤川学著

最近、大学生の頃を懐かしく思いながら社会学系の本を読んでいます。先日帰省時に『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス 1074)』を楽しく読み終え、その後に続いたのが『子どもが減って何が悪いか! (ちくま新書)』。

前者はどちらかというと、大学の専攻ゼミの教授がデカダンスの研究で有名な方だっただけに、ゼミ生の卒論テーマも多種多様で、そういう意味でいうと守備範囲の広い社会学の中では近さを感じる内容。で、後者はというと、最初は巷にあふれる統計資料を読み解きながらリサーチ・リテラシーを説きつつ、少子化の原因を様々な角度から眺めていこうという内容・・・だと思っていました。でも赤川氏がいいたかったのは、男女ともに育児も仕事もするという「男女共同参画」を推進しても少子化を妨ぐことはできない、というデータ分析(専門家が用いるデータ分析による事実の誤認)とともに、個人の自由と社会平等の点からみて、子どもという私的財産が増えようが減ろうがそれを公的財産に摩り替えて「選択の自由」と「負担の分配」が捻じ曲げられるような社会には住みたくない、ということだと思います。

個人的に興味深く拝読した箇所は第6章の「少子化はなぜとまらないのか」。ここでは山田昌弘氏のパラサイト・シングル論などを例にあげたアプローチと156ページ以降の“「人口容量」という考え方”(以降は人口経済学的考察)の二本立てでの論理展開が行われています。備忘録として簡単にまとめておきます。

「現在の低い経済成長下で独身女性は、ハイパーガミー(女子上昇婚)が実現しがたい状態にある、つまり、生活水準を下げてまで結婚する気がないため、結婚→出産が圧倒的に多い(婚外子が少ない)日本人は、出産するチャンスが減っている。一方、人口学者の古田隆彦氏による「人口容量」という概念に基くと、国民一人当たりの生活水準の上昇が大きく上昇しなければ(一人当たりの生活水準が上がらなければ)、少ない人口しか生きられない。新たな子どもを増やすには、親の世代が自分たちの生活水準を落とさねばならないものの、一度高い生活水準に慣れてしまうと、生活水準を落とすことを嫌がって子どもを増やすことをあきらめる。」

ところで私自身は子どもはみのり一人しか産み、育てられない可能性が高く、厚生労働省の年金制度の試算に用いられる出生率を下回る本人です。両家の父からはみのりを産んだ直後に「もう一人どう?」と言われ、当時の自分の体への負担を考えると辟易しましたが、実際にもう一人どうかなと考えたとき夫は「一人でいいよ」、医者は「こんなに弱い体で無事に子どもを授かっただけでも感謝すべき」。そう、残念ながら私には子どもをたくさん産んで育てる体力がないようです。

若くてたくさん子どものいる人には金銭だけではない手厚い支援が必要だと思う一方、認可保育園に入れるのは企業に正社員として勤めて産休・育児休暇を取った人が優先。つまり、所得が多い方が優先的に入れる上、自己負担が少ないという現実に、「こういうものなのかな?」と思ったりします。かといって、保育園のCapacityを広げても少子化対策になるとは思えないというのが実感です。たとえば働くママ(パパ)には2種類いて、仕事が好きで自分のため、生活を潤すために働く人、そして生活するために働く人。どちらに行政の支援が必要かは明らかだけれど、両者ともに認可保育園に子どもを預けることができたとしても、果たして出産数は増えるでしょうか??

Posted by noriko at May 9, 2008 12:42 AM | トラックバック
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