November 24, 2003
三度目の正直のミイラ見学 [日記]
今日も都美術館.8時半着.開館30分前にしてすでに行列が都美術館を半周取り囲んでる.先頭は何時から待ってるんだろう? これまでとは違い,3度目の今回は「大英博物館の至宝展」に入場できそうだ.
ちなみに見学後出て来た時点(10:50am)で130分待ちらしい.(行列の動画, 320x240 MPEG2, 5.5mins, 23.4MB)
8時50分頃から列が進みだす.9時までに並んだ人間は遅くとも9時半ぐらいまでには入館できるペースで進んでる気はする.
展示物はものすごい.教科書に載ってるようなブツが延々続く.最近でも「レンブラント展」「トルコ文明展」「アレクサンドロス大王展」「マヤ文明展」等々に足を延ばしてるが,それらでは目玉となっていたクラスの展示物がイヤホンガイドでの解説もつかずに無造作に置かれてるといった印象.主だった展示物は以下だろう.
- 牛頭のある女王のリラ,イラク・ウル出土,紀元前2600-2400年ごろ
- 聖眼ウジャト刑護符,エジプト,紀元前1068-664年
- テーベの女性神官のミイラボード,エジプト,紀元前950-900年ごろ
- 瀕死のライオン,イラク・ニネヴェ出土,紀元前645年ごろ
- 黄金のミイラマスク,エジプト,紀元前1世紀後半-紀元前1世紀前半
- クビドとライオンのモザイク,イタリア・ナポリ出土,紀元前70-10年
- シバ神像,中国・新疆ウィグル自治区,6世紀ごろ
- ルイス島のチェス駒,イギリス・ルイス島出土,1150-1200年ごろ
- 聖エウスタキウスの聖遺物容器,スイス,1210年ごろ
- 文具箱,イラク・モスル出土,1230-50年
- ペニンの王像,ナイジェリア,15世紀
- メランコリア(デューラ),ドイツ,1514年
- ルチアの肖像の,イタリア,1524年
- 神殿の彫像,アメリカ・ハワイ諸島,1790-1810
私がとりわけ気になったのはミイラ関係の展示.ミイラそのもの/ミイラボード/ミイラマスクと全てが並んでるし.
古代エジプト人にとってミイラって何だったんだろう? というのが非常に気になった.もちろん当時の人たちが,死後も生きながらえるには肉体を永遠に保存されなければならないと堅く信じていたことは知ってる.なぜミイラまで作って永遠の命にこだわったのか?
ミイラといって,まず最初に思い浮かべたのは,死体の冷凍保存に似てること.冷凍保存の場合は,動機は主に本人の側にあるのだろう,死にたくない,将来生き返ることに望みを託すというもの.ただし,冷凍保存はお金を払える誰もが冷凍保存する訳ではない.むしろ極めて少数派だ.冷凍保存技術が信じられてない面もあるだろうが,そもそも永遠の命への執着は死ぬ本人には案外ないのかもしれない.歴代の王のミイラが連綿と周囲まで巻き込んで作られた動機(宗教的な裏も含む)は本人の永遠の命への執着だけでは説明できない.
最近「バカの壁」などの著書で著名な解剖学者・養老孟司氏がとりあげられることが多いせいか死体の話が扱われることが多い.
彼による分類では,死体には3種類.死体である死体・死体でない死体・ない死体,に分けられるらしい.
- 第三者の死体は簡単に受け入れられ(死体である死体)
- 肉親や大切な人の死体は受け入れられず(死体でない死体)
- 自分の死体は見ることができない(ない死体).
この話を思い出して,古代エジプト人は生きながらえよう,ないしは生きながらえさせようとしtたのではなくて,大切な人である王の死をそもそも受け入れられなかっただけという別の可能性に気づいた.それなら今の我々にも理解できる素朴な考えかも知れない.ただ古代エジプト人にはその思いを実現し,肉体を保存できると信じられた技術(ミイラ化)があっただけだと. Posted by pshigei at November 24, 2003 12:37 PM | トラックバック (2)
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