January 30, 2004
アイデアプロセッサーとそれを使う頭と [スタイル]
今ありものでいうと Wiki/Palm と IM と blog の和集合の先に,私の理想に近いアイデアプロセッサがあるかなと思っている.だが,そもそも頭の中に最初のタネになるアイデアがないことにはどうしようもない,という視点からは面白いアプローチかもしれない.なぜ紙ノートに手で書くのだろうというのはあるんだけど,,,
Going My WayとPassion For The Futureで紹介されているのをみて,かなり気になった.私もちょくちょくメモする方だが日にアイデア3つにはほど遠い.最終的に方法論は我流になるとしても,参考にすべき点が多そうだ.
Posted by pshige at January 30, 2004 11:51 PM | トラックバック (2)アイデアマラソンというものを初めて知りました。これはアイデアを生産対象と考えた場合、生産プロセスの固定であり、その過程を安定させることで品質を保証したり生産効率を向上したりするためのものだと思います。
わたしは裏紙やノートの欄外などに書く習慣が抜けず、パソコン内部のファイルもその延長か形式不揃いのアイデアが雑然と散らばって再利用性に欠け、同じアイデアを一から再構築するなどムダが多いです。そこで、メディアに依存しない保存方法が理想だと常に感じてます。紙なら切り張りできる→片面のみ記入する、など。
NEC PC98でつくったメモ(しかも5インチFDだったり)などをどう再利用(あるいは発展的廃棄)するかがPCでのメディア的な観点からの弱点です。
検索の便宜をはかり、(自分が予期せずにしてしまう)盗作を避けるためのID附けも必要ですし、生産コストを下げるためにはblogやwikiって楽で良いと思いますが、2038年問題などの弱点・盲点があったり、ネタ無しという観点からは、形式だけ立派で中身が無いものになりかねない("毎日つける"自体が目標でblogのためのblogになる)という悩みが発生しますね。逆にinteractive性による「棚からぼた餅」効果も生産プロセスとしては興味深いです。
形式、ファイルフォーマットという観点からすると、「手書きノート」は終わったものをまとめるもの、アイデアの墓場でしょう。罫線や「A→B」という枠から抜け出せないし。コンピュータで扱える情報は、近頃はかなり融通がきくようになりましたが、やはりアプリケーション(ソフトウェア)に依存する、形式優先の意識が強くて・・・結局手書き裏紙メモに落ち着くのでしょうか。。。[堂々巡り]
一方で、ワープロやパソコン、印刷機やコピー機の普及で手書きノートやビラ・立て看から勢いや分量が失われた過程を見ただけに、編集や整理・分類されないものを阻害するアイデアプロセッサは困りますね。フォントと言えば明朝体とゴシック体しかない、倍角や縦倍角くらいしかない、といった世界は何か違うぞと思います。
Posted by: minorutk at February 9, 2004 10:37 AM話をきいてると,
裏紙にとりあえず書いたものを,一アイデア一記事でBlogに落として,アクセス制限かけて自分しかみれなくするのが当面の解に思えました.
データはSQLにためとくことも,またインポート/エクスポートもできるので,2038年問題はきっと杞憂でしょう.
電子化することによって,失われる情報もあるとは思いますが,同時に新たに得るものも大きいんじゃないかな.
Posted by: pshige at February 9, 2004 11:23 PM電子式のデータ管理は強力な道具です。が、データのインポート/エクスポートというのが「可能」レベルなので手間がかかるなというのが実感。Lotus 1-2-3で作った書類とMicrosoft Excel で作った書類と、なおかつ、それぞれバージョンが違ってたりして(中国語のもあったりして)・・この辺は標準化・互換の問題なんでしょうが似た機能のソフトウェアを揃えておく暇も(金も)趣味も無いし。
#急いで試験結果を見てくれとExcelファイルが送られて来た日には、openofficeで開けて単なる数字の列を見たり、企画案だとpowerpointで来てopenofficeで開けると絵が一枚だけだったり(昔はpower point viewerをインストールして開けてました)。こちらには最新のが無いので、前のバージョンで保存して再送してくれと頼んだことすらあります。余計な手間がかかりすぎて本来の「考える」余裕を奪われる思いが強いです。
2038年問題そのものよりも、それに象徴されるような「変数・演算のサイズが有限である」問題が怖いのです。自分が8bitCPUで開発してるからかもしれませんが。
限られたメモリ容量からすると有限なサイズとするのは当然でしょうが、頭の中では分数を使ったり数式だから「実は範囲は255までしかない」なんてのは、後から確認するか計算前のチェック処理を(それこそ万が一に備えて)追加しておかないと行けません。
「電子化で失われる情報」というのは、想定していない行為に対応できなくなる硬直性の問題であって電子化特有の問題ではありませんね。ただメニュー方式など"限られた世界"が一般的になった事態が心配です。当初は、そういう分解された手順、命令語などで発想が刺激されましたが、昔のやり方を知っていたからであって、今の、それが当然として育った場合にはどうなるんだろうかというのは「杞憂」かな。アイデアが出てこないというのは、逆に便利で複雑になりすぎたせいかとも思います。「~したい」と工夫するのが「~しなさい」と与えられた世界で慣れすぎてイザ手法が強化されたところで「~したい」を忘れちゃうのかも。
#『ロード・オブ・ザ・リング』をテレビで見てて、魔術師って現在のプログラマみたいだなと思っていたので。あの魔法の呪文ってどこで習ったのかな、死んじゃったら継承されないのかな、間違えたら困るし、破壊的な奴じゃ事前にそうそう動作テストするわけにもいかんし、と。M$社でVisual Magic.NETとか作ってるのか?カーネルが違うと動作結果が変わったりしないのかな、など妄想モードにまで。歴史書を「紙らしきものに書いて」いたので、「はじめての魔術」とかもあるんだろうとは思いましたが、彼らは新しい技(アイデア)をどうやって管理してるんだろうと。・・この辺で繋がるかな。どうも話題をずらしてしまったようで恐縮です。
Posted by: minorutk at February 10, 2004 10:04 AMこんにちわ アイデアマラソン発想法の考案者の樋口健夫です。Pshige様、Minorutk様、アイデアマラソンに対してのご考察本当にありがとうございます。「アイデアを生産対象と考えた場合、生産プロセスの固定であり、その過程を安定させることで品質を保証したり生産効率を向上したりするためのもの」という表現には感銘しました。まさにその通りです。毎日継続して発想努力を脳に課していくと、脳は発想を毎日の当然の生産プロセスであると考え始めます。上記の表現は、強烈なインパクトを私に与えました。一体、どのようなお仕事をされているのかと思いました。
また、ノートに関しての考察では、ノートは思考の中間過程であると思います。一元化した発想情報をノートに書いたものを
実現に向けたり、パソコンに移し変えたり、ノートに書くことは最後ではなく、明らかに中間の一元化です。また、私が主張するのは、書くことの行為が人間の本能的な記憶と発想循環を発生させていることです。自分で書いている行動を、自分の目で見て能はフィードバックを受けています。書くことが指先に脳の支店があるようにも思えます。最初の1000個程度の発想を書いていた間は、ノートを見直すことも簡単だったのです。また当時(20年前)はパソコンのデータベースを利用できなかったのです。それから20年経って、すでに今日で、189000個の発想が285冊のノートになったときに、これはもう個人でデータベース化することは不可能になってしまいました。ところが、4年ほど前から、優れた発想(自分で考えたですが)にキラキラシールを貼ってきています。今年の夏から、今までの285冊のノートを、ヨメサンと、子供たちを動員して読み直して、発想の吟味を開始する予定です。
この6月末までは、海外におりますが、その後は日本にもどります。また、今回のようなコメントをぜひともお願い申し上げます。私は現在、企業内のアイデアマラソンの応用を、原稿を書き終わりました。「企業IMSによる知恵基盤の構築」(仮題)です。
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